散歩道<2321>

                            美術展・絵画の冒険者・暁斎

 江戸末期から明治へかけの社会全体が大混乱で実に騒々しかったとおもわれた中で暁斎はたくましく生きられたのである。画風については幼少の頃、狩野派で実に確かな絵を修業された。その後、浮世絵を習われた。明治になり、江戸時代の社会の基盤である絵師にとって、最大のスポンサー大名が世の中から消えてしまったのだから大変である。明治以降の社会もようやく明治10年ごろまでに落ち着きを取り戻してくる。

 ここでNHK・
新日曜美術館の解説(同志社大学教授・狩野博幸氏、画家・山口晃氏)を記述すると、暁斎は江戸末期から明治時代の変化に対応した画家である。確かな勉強と対応の旨さにより、大混乱の時代の変化の中でも自由に生きられたのだと思う。絵への取組は余り熱心なため画鬼(がき)言われた、
”大和美人図屏風”には、着物の柄にも、琵琶や笙(しょう)を詳しく描いているし、後ろには、田植えをする人や農民、杜
(もり)の鎮守(ちんじゅ)に行く人などを描いている。イギリス人ゴードンを弟子にし、彼に日本の伝統技術をくまなく教えた、その娘を通して世界に作品を知らしめた。その為、西洋では日本で一番有名な画家ということになっている。暁斎は日本の古い古の(いにしえ)から今に伝わる美術の伝統を伝え、そのめざす先に自分がいることを伝たかったのではないか。
 歴史の登場人物が実に旨く描かれているかと思うと、次のコーナは実に愉快な物語であったり、動物の物語であったりする。世の中をいろいろな場面で、面白おかしく皮肉たっぷりに描いている。皆が一番おそれている冥界の世界を、これでもかこれでもかと恐ろしく描きまくっている感じである、逆にこれまでの怖さを真ったくなくした、"極楽行きの汽車"は夢の絵である。残された絵に、その恐ろしさが今に伝わってきているのであると、会場には説明されていた。
 何しろ描かれた絵はいろいろの広範囲で、暁斎が時代に対応して作風をどんどん変えて、出品されているため、又、それを纏めて評価するのは難しいと解説もされていた。

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備考:現在の日本の社会では、火葬が義務づけられているため、幽霊を考えることも難しい時代である。人間界の凡てが死によって、希望も、夢も恨みも恐怖も、消されてしまうのだと思う。