散歩道<2239>

                         世相(64)・ギョウザ中毒問題(2)                     (1)〜(2)続く
   ギョウザ中毒問題が日・中両国の間で問題になり、有機リン系農薬成分メタミドホスは袋を通るのかという事がニュースになっている。'08.2.29.朝日新聞

ボールが壁をすり抜ける(糸川英夫さんの文章)
   少し略
 ボールが壁に当たればハネ返る、作用と反作用は等しい、とニュートンは断言する。これがハイゼンベルグになると、ハネ返る確率が大きい、ということになる。ハネ返らずに、”壁をすり抜けて”向こう側に行ってしまう確率もゼロではない、と付け足す。そんなバカなことが、と考えるのはニュートン式古典力学的発想である。ボールは多くの原子から出来ている。顕微鏡で拡大してみれば、点々の原子の集団で、原子と原子の間には"すき間”がある。壁もまた原子である。超高能力の顕微鏡で拡大してみれば、粒子の集まりで、原子と原子の間にはすき間がある。したがって、ボールを形づくっている粒子の集団が、壁を構成している原子と原子の間のすき間をうまくすり抜ければ、ボールが壁を突き通して向こう側に行くチャンスはあるとハイゼンベルグは主張する。この確率は非常に低いから、一人の人間が一生ボールを壁にぶつけても、ハネ返ってばかりいるかも知れない。しかし孫子の代までやっている間には、偶然、粒子群と粒子群がすりぬけることもあり得る。だから、ボールを壁に当てたらハネ返る、とは断言しない。ここが古典力学と新力学の差になる。

断言できない時代
 原子を人間が見ようとする。"見える”ためには光りを当てねばならない。光のない暗黒の世界では"観察”することは不可能である。見るために光りを当てる。光りは光子という粒子である。原子もまた粒子である。原子を形づくっているのは素粒子である。素粒子に光りを当てるということは、素粒子に光粒子をぶつけることになる。素粒子は光りと衝突すると、吹っ飛ばされてどこかへ行ってしまうか、粉々にこわれてしまうかもしれない。だから、素粒子を見ることは出来なくなってしまう。観察しようという働きかけのために”対象”が変化してしまうから”対象”の実態はついに見ることが出来ない。見ることができないものは想像に頼るしか方法がないから、「事実だ」といって断言できない。これがハイゼンベルグの不確定性原理といわれるものである。
ボールを壁に当たればハネ返ると断言するのは、ボールを”剛体””固体”として取り扱うからで、ボールを多数の原子の群と考えると、すり抜けることもあり得る、となる。1つの社会を”剛体”あるいは”固体”として考えると、経済法則も”確定的””断言的”になる。社会を個人の集まり
(粒子の群)としてみて、一人一人の個人の行動のレベルまで拡大、分解して考えると、個人個人が勝手気ままな行動をするから、全体としてははっきり結論が出にくくなる。


散歩道<167>中国市場・健康と安全、<1973>サラ・ボンジュルニさんの書いた「メード・イン・チャイナの1年間」