散歩道<2236>
文章・日露元軍人・水野広徳、福島正則、加藤清正
1、水野広徳(1875-1945)、日露戦争の元軍人、軍人をやめジャーナリストに転身、「此ー戦」を刊行。視察した第一次世界大戦後のフランス・ベルダンで50万人の死者に会う、彼もロンドンで爆撃にあう、日露戦争では死者8万人といわれる。戦争は勝っても負けても悲惨そのものであることを強く感じる。軍縮が必要だとメッセージを出し続ける。日米開戦を予想し、軍備縮小の必要性を訴えた。11年ワシントン軍縮会議、昭和5年4月ロンドン海軍軍縮会議、天皇大権「統帥権」の干渉問題が起こる。昭和5年11月・浜口首相・右翼に襲われる、昭和6年9月満州事変、満州国建国、昭和7年5月犬養毅襲撃される、検閲による発禁、昭和12年7月日中戦争(盧溝橋事件)、言論統制・情報局設置、昭和16年2月戦争のための世論統制、これにより日本全部が完全な沈黙の世界になる。昭和16年12月8日太平洋戦争始まる。戦時中、自宅で書かれた膨大な軍部に対する批判の資料がこの度、発見される。「言論、報道は社会に酸素を供給する」という記事もあった。辞世の言葉は、反逆児、知巳を100年の後に待つというものだそうだ。('08.2.27.NHK・TVそのとき歴史は動いたで)
関連記事:散歩道<1427>(1)〜(2)狂気が国を滅ぼした。<2232>歴史は生きている・民衆が動かした近現代史(1)〜(3)、
備考<88>軍事費・日本は当時50%だそうだ、試梠繧ヘ実に60%で国民は息が詰まるような生活を強いられていたようだ。
備考:戦争は人が生きる自由も奪ってしまうようになる。
2、福島正則(1561-1624)は、賤ケ岳の七本槍の一人、豊臣秀頼(1593-1615)を徳川家康(1542-1616)から守ろうとした。安芸50万石の城主、堀の修理の許可が下りた時、わざと徳川家に忠誠の気持ちがあることを示すため、余分の堀まで壊してしまったが、許可以外のところを壊したということで強いお咎めがあった。大阪夏の陣で秀頼亡き後に、世の中の流れが完全に徳川家の時代であることを認め、無理難題に対して武力で立ち向かおうとはせず、お家相続のため、安芸城を去り信濃に蟄居(ちっきょ)し生き延びることを選ぶ。('08.2.20.NHK・TVそのとき歴史は動いたで)
3、加藤清正(1562-1611)は、熊本城・肥後52万石の城主、賤ケ岳の七本槍の一人、豊臣秀頼を熊本城で徳川家康から守ろうと考えていたようだ。熊本城に秘密の抜け道を何本も作っていたそうだ。
('08.2.20.NHK・TVそのとき歴史は動いたで)
![]()