散歩道<2226>

                            面白い話(180)・「土壇場」・「道具」

かたえくぼ:見張り:上の空でした・・・・・・・・イージス艦       レーダー(古典範)

                       堂々と首を斬られた吉田松陰「土壇場」

 最近アメリカで、ある死刑因が電気椅子による死刑執行を拒否し、潔く銃殺刑を志願し、その願いどおりに?死を遂げたことで話題を読んだが、江戸時代末期の死刑執行は、「土壇場」とか、「土断場」と呼ばれる盛り土の上に,罪人を横たえ、首をはねるのがふつうだった。江戸時代の有名な斬首人、通称首切り浅右衛門
(あさえもん)は、数百人という罪人の首切りをしたが、土壇場に臨んで、覚悟が出来ている罪人は少なかったという。なかで、従容(しょうよう)として死にのぞんだひとりの武士の態度によほど感銘したらしく、その名を日記に書き残している。この武士、だれあろう、安政(あんせい)の大獄(たいごく)で幽閉された幕末の志士、吉田松陰(よしだしょういん)その人である。
樋口清之さん

                            仏の道も、道も同じ?「道具」

 『東海道中膝栗毛』に、弥次(やじ)さん、喜太(きた)さんが、通りがかった大名の行列を見て、「あれ、お道具を見ねへ、あのとおり立ちずめだ」とからかうシーンがある。もちろん、このお道具、彼ら一流の洒落(しゃれ)で、武具の槍と男のそれとをかけたものだ。何をするにも、それほどに「道具」はだいじなものだが、これは、仏の道も変わりはない。質素にしてきびしい修行で知られる曹洞宗(そうとう)の開祖道元(どうげん)禅師も、「貧にして道具調えがたし」と嘆いているように、仏の道を修めるための、必要にしてかくべからざる用具こそ、本来の「道具」なのだ。武士にとっては、腰の大小、槍などが道を修める用具だったが、さて、サラリーマン道の道具とは、何だろうか。樋口清之