散歩道<209>
東京力(12大学の広告)及び江戸時代の江戸の文化
1、400年の都で学ぼう東京12大学(東京12大学広報連絡協議会)の広告によると、今年で徳川家康が江戸に幕府を開いて今年で丁度400年になるらしい。そこでは江戸、明治、大正、平成時代が変わっても日本の政治、経済、文化、学問の中心はずっと東京でした、混迷した社会に風穴を開け、新時代を作るのはいつも400年を歴史を誇る、この都で学ぶ若人たちですと紹介されている。(朝日新聞'03.5.18の広告)(ちなみにここに広告が出されている大学(青山、慶応、国学院、上智、専修、中央、東海、日本、法制、明治、立教、早稲田)は全部100年の歴史があるが東京と言う名前を頭には持っていない、ここで興味を持ったのは、東京という名前がつく大学、専門学校が実に36あるのを確認した。
東京が人を引きつける、その要素はなんだろうと私なりに考えてみた。政治、経済、企業の本社機構、現代の情報、ファッションの中心地である、文化施設の多さ、便利さ、刺激、文化の高さ若さ等だ。デズニーランド、デズニシーもある。若者が惹かれるのに十分な大都会である事には間違いはない。
備考:今振り返ると、この文章の後半の部分は自分として幼稚に見える。2012年7月6日
2、ここで江戸開城(1603年)以降の文化の面を見ると、鎖国(1635年)*1の特色を象徴し、非常に地方文化の洗練された物を称賛し、各地の農産物、地方色の物を宣伝した(小田原のういろう、丸子のとろろ汁、鳴海の絞り、箱根の細工、掛川の葛布、新居のうなぎ、桑名の蛤、草津の姥餅、大津絵等)又、手作り文化を盛んにし(麦、稗、栗、野菜等)が旅行者を通して諸方に広められた。江戸、下町庶民の独創的な町人文化を盛んにもした。参勤交代制(1635年)は江戸は地方文化の活性化、文化交流の発信の場となった。この当時以降、日本の旅行熱は盛んになった(江ノ島、鎌倉、御嶽山、冨士山等)、特に伊勢神宮へは「おかげ参り」で(1705,1771、1830年)全国から200万人〜430万人の参拝者があったと言われている。又、武士は建前上言葉に至るまで共通語つまり、日本共通の文化をもつことになる。
散歩道<956>上田正昭様によると*1鎖国はなかったそうです