散歩道<2009>
福井市立歴史博物館と加賀・越前・若狭の歴史
07.9.28・この博物館には福井の古代から現代までの歴史を語る遺跡が年代とともに展示されている。古くは古墳や、石器から鉄製の農工具や鍬、鋤や、武器の矢じりや、祭りや神事に使われたヒスイの玉石や首飾りなど、古くからこの地域が人の交流が盛んであったことが分る。奈良時代の東大寺領荘園として経済的に支えたことからも、広くその基盤である農業等が盛んであったことが予想される。
たまたま、当日は”越前山縣家と武田信玄”の資料展示を行っていた。展示品の屏風や掛軸に、武田二十四将図、武田信玄軍陣影、伝山本勘助*1軍配及び伝来図、川中島合戦図屏風、長篠合戦図屏風、山縣家特別保管物件覚書、又武田信玄がかぶっていた兜等が見事であった。
又、福井を治めていた越前山縣家は先祖は武田信玄に仕え、子孫は越前松平家に仕えた名家であったらしく、当時からの歴史が色濃く残っている城下町であったことが分る。幕末には優秀な儒学者や、政治家(横井小楠、橋本左内等)を福井藩として多数だし、藩校(明倫館、洋学館、立教館、成器堂等)を中心に幕藩体制にも影響を少なからず与えた、又文化の向上にも努めたようだ。明治時代以降は農業、漁業、繊維工業が盛んであった。ここにも、昭和20年の福井大空襲で人、家の大被害を被り、市の殆どが消失し多数の人が命を落としたとある、又当市に落とされた焼夷弾が展示されている。隣には”名勝養浩館庭園”(旧御泉水屋敷)がある、実に落ち着いたたたずまいで、今を忘れてしまうような心落ち着くこと間違いありません。
関連記事:散歩道<54>クリントン大統領と福井の国文学者・橘曙覧(たちばなあけみ)、<302>江戸時代の災害・1642年・飢饉・冷害、<1639>*1やまかん
備考:日本の歴史を振り返る場合、縄文、弥生、古墳時代から江戸中期までは、西洋、中国、朝鮮との交流から考えても日本海側が栄えていた。青森・津軽半島、秋田、山形、新潟、富山、石川、福井、京都、鳥取、島根、山口、福岡には古い歴史の品物をお持ちの旧家が、たまにあるもんです。