散歩道<2005>
世相(33)・戦陣訓(昭和16年・'41)・ぜいたくは敵だ!(昭和15年・'40)
1、死を強制した・戦陣訓
昭和16年1月8日、東条英機陸相は軍記の乱れを誡めるために「戦陣訓」を布達した。その国体観については井上哲次郎、山田孝雄(よしお)、和辻哲郎らが検討を加え、文章は島崎藤村、佐藤惣之助らが加筆したといわれている。東条陸相自らがレコードまで吹き込んで唱道した「戦陣訓」は、「命令一下欣然として死地に投」ぜよと死を強制し、就中「生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿(なか)れ」の一条は、兵士の投降を封じて、各地で玉砕の悲劇を生んだ。敗戦直後、GHQが戦犯逮捕を命令した昭和20年9月11日、ピストル自殺に失敗して軍人らしからずと評された東条元首相は、東京裁判で”生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受け”、”A級戦犯の汚名を残”して、23年12月23日絞首台の露と消えた。半藤一利様
2、節約を強いた7・7禁令・ぜいたくは敵だ!
昭和15年8月1日、東京の街角に「ぜいたくは敵だ!」と大書きした立て看板が立った。7月7日から実施された贅侈品等製造販売制限規則、いわゆる「七・七禁令」を徹底させるために、国民精神総動員本部と警視庁が用意したものだが、前年のスローガン「日本人なら贅沢は出来ない筈だ」よりもいっそうヒステリックに語気を強めた。盛り場では婦人団体の推進班が、「華美な服装はつつしみましょう 指輪はこの際全廃しましょう」と刷った自粛カードを要注意女性に手渡した。たて看板の文字に、誰かが”素”の字を加え、「ぜいたくは素敵だ」に改作した傑作な悪戯もあった。永井荷風は8月1日の日記に「今日の東京に果たして奢侈贅沢と称するに足るべきものありや。笑うべきなり」<断腸亭日乗>と、一笑に付している。と半藤一利様
備考:散歩道<2005>→<2051>移動、なお散歩道<2051>「散歩道」も・2000回になりました。2007年10月14日
<2005>は「散歩道」1950,も1つの区切りではが入っていましたのを、世相(33)・死を強制した”戦陣訓”と、節約を強いた7・7禁令・”贅沢は敵だ”にかえました。