散歩道<1819>
宮沢氏死去・保守本流枯渇でいいのか(1) (1)〜(3)続く
宮沢喜一元主首相の逝去がもたらした政治の空洞は大きい。改めて宮沢氏が、国の進路を示す最も優れた羅針盤であったことを痛感している。 宮沢氏は吉田茂、池田勇人両元首相のいわゆる「保守本流」の?流だが、同時に石橋湛山元首相の系譜にも属しており、本人もそれを自覚していた。
46年、第一次吉田内閣で非議員のまま蔵相に起用された石橋氏は、省内で傍流の池田勇人を事務次官に抜擢。積極経済・積極財政の戦後経済政策の先鞭をつけた。宮沢氏が生涯師と仰いだ池田氏は同郷の先輩で大蔵省時の保証人であった。
この当時まだ20代であった宮沢氏は、石橋蔵相が連合国軍総司令部と交渉するとき通訳をかねて随行している。
「石橋さんはGHQに対し、なんら臆することなく、はらはらするほど堂々と自分の意見を述べた」と宮沢氏は私に語ったことがある。
おそらく宮沢氏の「日本は米国にはっきりモノを言うべきだ」という一貫した外交姿勢はこのときに固まったのだろう。
'07.7.5.朝日新聞・元経済企画庁長官・田中秀征氏
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