散歩道<174>
ハレーの場・1、ハレーの場、 2、茶室、 3、身分格差(士・農・工・商)、記録、 ・・・・・・世相 ・・・・・・発想を変える
江戸幕府260年の間、どうして身分制度が維持され、多くの混乱もなく過ごせたのはなぜか? 興味を持っていたが、その解答らしいものを見つけたので報告します。
<1>、それはハレーの場ということである。
人間の身分や老若男女を取り払って、神の前に平等の人間として還元される神聖な場である。神代の八百万の神の時代から草木も平等に権利を主張するという条件が日本にもあって、それがハレーの場として設定された。つまり革命の様な事でなくても、ある特定の時、そのような平等が実現する社会構造が出来ていた。その時は晴れ着を着た。又、盆踊りや、神興を担ぐ祭礼の場合、あるいは巡礼の時、白装束を着け身分を消してしまう。花笠や網笠を被って、そろいの着物を着て踊る事で、祭礼は差別を消してそこで解放される為の、素晴らしい社会機構を働かした。(丸谷才一対談集から)・・・・・この話に出会った時私は知らない事を知りえた喜びを感じ嬉しかった、のを今でも思い出す。2012年9月21日
備考:戦後物が少なくない時には、正式の場に出る時の為に一張羅(いっっちょうら)の服を着ていった記憶がある。そのような場をハレーの場と、小さな時は思っていた記憶がある。言葉としては一般に”ハレヤカ”、”ハレ舞台”いうよな言葉はあったように思う。
<2>、それは茶室である。(身分を越えて)
茶室は人を人別長に登録された世俗的生活の人間でなく、貴賎を超越した別世界の平等人間に転生しえた。(丸谷才一対談集から)
上記2つの場所では人は平等であったという事です。(逆に2つ以外の所では身分格差が存在していたということになります)。随分身分の制約を受けていた事がわかります。2012年5月13日
<3>、この件(差別)に関して江戸幕府の制度の中では「士・農・工・商」の「商」が「士」より上であるということを記した記述は一つしか無いらしい。その書き方も(支払い期限とか、約束ごと等)。約束を守ると言う事では、商人のほうが武士よりも上と書いてあるというものである。(この出展は,図書館で見つけたがどの本であったか今も調べ中)
備考:この文章を書いたのは'02.(平成14.)秋だと思うが、'10.3.迄で新聞を見ていても「商」を評価した文章にあったことはない。2010年3月5日 2012年5月17日 2012年7月6日