散歩道<1738>

                        経済気象台(157)・エージェンシー問

 社会が複雑になると、個人や組織は専門家とみなされる第三者に権限をアウトソースすることになる。弁護士は依頼人の、企業経営者は株主(もっと広くステークホルダーという人もいる)の、ローマ法王は神の代理人とよばれる。政治の世界でも、同様である。民主国家の建前では国民が主権者であり、政治家はその代理人、官僚は政治家の代理人ということになる。本来の権力者が委譲された者に利用されたり、欺かれたり、権力を奪われたりするのは、歴史学では、「エージェンシー問題」といわれる。これを避けるには、主権者には効果的な監視体制、代理人には透明性と説明責任を全うする仕組みが必要であるが、わが国の政府にはいずれも大きな欠陥がある。加えて、わが国の官僚は立法と法解釈を壟断(ろうだん)している上、責任回避のメカニズムも編み出した結果、歴史に類を見ないほどの影の権力者となってしまっている。99年に巨大な欠損を抱えた北海道東北開発公庫を日本政策銀行に統合させたが、最近では03年の独立法人への改組に付け込み、12兆円もの巨額の繰り越し欠損金を政府資金で穴埋めしていたことが明らかになった。同じ不透明な手法が繰り返され、責任が問われることはない。35年前の外務省機密漏洩(ろうえい)事件は政・官の陰謀にメディアが敗退したケースであるが、その後米国での情報公開や元外務官僚の告白によって、「官のカタリ」が明白になったにもかかわらず、政・官は公然と事実を否定し、司法は「時効」を口実に門前払いとした。国家ぐるみで国民を欺く手口は、かっての大本営発表を連想させる。敗戦後の民主革命はそのようなカタリ国家からの脱却であったはずである。この国を美しい国に変えうるのは、国家主義的な宰相ではなく、国民の主権回復への意志しかない。

'07.5.17.朝日新聞