散歩道<1670>

                   異見新言・言論の行方(3)匿名「世論」が動かす社会    (1)〜(3)続く

好悪を映す「公」 
 なにやら「最近の若者は」とか「ネットの悪弊」的なオチがつきそうな話だが、もちろん、そんなことを言いたいわけではない。
 変に混ざるのが嫌で、私は匿名の評論は一律無視している。しかし、それがそれこそ客観的な正解とは思えないのだ。匿名の好き嫌いにせよ、人々の評価が発信されている。それを知りうるのに知らないでいるのは、やはり変に硬直したやり方で、どこかで何かを犠牲にした気がする。
 言論から政治に目を移せば、わかりやすいかもしれない。小泉政権以降、日本は「世論調査政治」になりつつある。政策や政治目標をマスコミ経由で打ち上げて、すぐ世論調査で反応を調べる。賛成が多ければOK、反対が多ければ軌道修正。選挙にかぎらず、恒常的に世論を調べて、舵取
(かじと)りがされている。
 従来の、政策は客観的な根拠から、長い目で進めるべきだとされてきた。一方、賛成・反対の理由を掘り下げられない世論調査はどうしてもその時々の好き嫌いになる。その二つが組み合わさっているのが今の政治だが、これ、言論での実名書き手とネット世論と、全く同じ構造である。ポピリズムを批判する論者がネットの匿名評を気にする姿なんて、想像しただけで気が重くなるけれど・・・・・。
 言論と政治。それは私たち社会の公、公共性をになう二つの柱である。その二つで同じ構造が出現している。だとすれば、これは何かの症候や兆候というより、今の私たちの公共性のあり方そのものだろう。
 ネット世論を気にする言論は、気持ち悪い。でも世論調査政治を「ポピュリズム」だと切り捨てるのも、変な感じがする。少なくともしばらくは言論も政治もその間を漂っていくのだろうが、一体どこに行き着くのか、行き着けばいいのか。
 一人の書き手として、そして有権者として、少し悩ましい日々が続いている。

'07.4.14.朝日新聞・東京大学准教授・佐藤 俊樹氏

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