散歩道<1620>
聞いてみたいあの人の言葉(1) 面白い話・大集合(537)・1972 (1)〜(2)続く
NHK・TV2007年3月28日・その時歴史が動いた、もう一度聞きたいあの人の言葉(1)、視聴者が選んだ名言・ベスト10〜20から
1、高杉晋作:長州藩士、奇兵隊を創設:おもしろきなきよを おもしろく*1
2、諸葛亮(孔明):泣いて馬謖(ばしょく)を切る。学問は静から、才能は学から生まれる、学ぶことで才能は開花する。
3、山本五十六:100年の兵を養うはただ平和を守るためである。いま私の命に承服できないものはすぐ辞表を出せ。(最後の最後まで日米第2次大戦回避の交渉が行われていた、交渉が成立すれば、いま真珠湾に向かっている日本海軍艦隊は、すぐに日本に向けて引返すことという指示であった)*2
4、坂本龍馬:日本を今一度せんたくいたしたく候(龍馬の姉・乙女ねえさんに出した手紙の内容)
5、終戦間際、戦艦大和に乗り合わせた海軍士官の言葉:戦艦大和が一機の航空機の援護を受けないまま、太平洋に沈み行く船での記憶を本に残された言葉(日本のために伝えたかった話):日本は進歩ということを軽んじ過ぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れていた。破れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。(時代の流れは航空機が主力になっており、巨砲艦時代では既になかった)
6、織田信長:是非もなし(自分が信じていた明智光秀から謀反をうけ本能寺で最後に言った言葉)*3、信長は信濃の上杉謙信との間では贈答作戦(国宝・洛中洛外図屏風*7、マントなど)などにより安定を続けようとする作戦を取ったといわれる。謙信との戦いでは敗れる。(NHK・TVその時歴史が動いた2007年4月4日)
7、杉原千畝(ちうね):第2次世界大戦前、ナチス政権の弾圧から逃げようと国外脱出するために、リトアニア大使であった日本の外交官の彼にビザの発券を依頼してきたユダヤ人に発券した。外交官としては間違ったことをしているが、私を頼って来た人を断るわけには行かない。大したことをしたわけではない、当然のことをしただけであると。
8、石田光成:築摩江や、芦間に灯すかがり火と、ともに消えゆくわが身なりけり
9、武田信玄:息子勝頼に、上杉謙信とは和議を結ぶべし、私は最後まで頼れとはいえなかったが謙信はそういう男であると話した。
10、白州次郎:我々は戦争に負けたのであって、奴隷になったわけではない。アメリカの日本占領当時GHQが従順ならざる唯一の日本人と感じた。講和条約の文字を全部日本語に書き換えた、それを吉田茂総理は読み上げた。
10-1,白州正子さん:6歳から能を覚え、50年かけてようやく、これは男のするもので女性がするものではないということが分かった(流暢に舞うことが出来ない)。文章は知っていることを全部書くことではなく、読者が勝手に想像する部分を残すことが作者として大切である。(小林秀雄氏から教わったこと)
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備考:*7この洛中洛外図屏風は狩野永徳(1543-90)が、描いたもので金箔で飾られた華やかなもので、当時の日本社会を知る貴重な資料でもある。2009年12月26日