散歩道<1372>
経済気象台(85)・「和魂和才」のすすめ ・・・・・発想を変える
米国の友人達と日本論を戦わせたことがある。彼らに言わせると、日米関係はかってないほど良好なのだそうである。1980年代、怒涛のような日本からの輸出に恐怖すら感じ、日本バッシングが盛り上がった時代が夢のように思えると言うのである。理由を問うと物づくりは巧みであるが、その基本となるコンセプトを作ることの出来ない国であるとわかった。国際政治をリードすることは無理だろうと承知していたが、ビジネスにおいてもそうであるというのでは、これはもう日本の国民性といっていい」という。「例えば、カメラというコンセプトを与えられると、日本人は芸術品ともいうべきものを作る。自動車もしかり。しかし、肝心のコンセプトを生み出せない。コンセプトをあたえなければ、何も出来ない。だから安心している」言われてみれば、残念ながら日本発の思想や発明が世界を動かしたことはなきに等しい。ビジネスの分野にしても、昨今の時価会計の導入など多くの基準やルールが、アメリカ発のグローバルスタンダードなどである。千百余年の昔、菅原道真の言葉とされる(和魂漢才)は、今に至るも我々を呪縛しつづけているのだ。我々の長き文化の中でコンセプトに対する評価は低かった。それどころか、(和をもって貴し)とする社会では、新しい発想は多かれ少なかれ異端を意味する。だが、そろそろ、この呪縛から解き放たなければ成らない。これまでの工業化社会では製品を改良することで利益を得たが、これからのポスト工業化社会では創造が決定的に重要になる。外国から導入したコンセプトを日本人がうまく加工して満足する(和魂洋才)*1では乗り切れまい。歩むべき道は、日本人がコンセプトそのものを造り出して磨き上げることである。つまり(和魂和才)の精神なのである。
'05.朝日新聞
関連記事:散歩道<154>緊急対策、<198>辻井喬様の話から伝統無視は100%間違い、<219>ものつくり揺らぐ足元・消火活動、<検索>発想を代える、<444>五木寛之・佛教・国際貢献・和魂洋才*1