散歩道<1365>

                           音楽展望・モーツアルトってだれ?(2)                  (1)〜(4)続く
                 生誕250年今なおさまざまな解釈 偉大さと音楽の永遠性示す

 これがモーツアルト?でもモーツアルト自身が「ドン・ジョバァンニ」のような人殺しの色魔を題材に喜歌劇をものにした人物だったのである。不幸なことに、私は昔ザルツブルグでフルトベングラーの指揮の下、このオペラを聞いてしまった。その時の震駭(しんがい)がまだのこっているので、今にいたるまで、これに代る演奏に出会えずにいる。彼のは、ワルターのアポロ的モーツアルトと反対に、ニーチエの言うデオニソス的芸術の典型みたいなもの。作者自身がアンダンテと念を押しておいた序曲からして、うんと遅く重々しく起伏の大きいアダージヨにギヤを切り替えたのを皮切りに随所で人間の業が顔を出す劇にしてしまう。それもある時は爆発的な力で噴出し、ある時は不気味な低音としてうなるように響いてくる。今年北メトロポリタン歌劇場の「ドン・ジョバーニ」は生暖かい優等生的講演だったが、この中でロシア出身のネトレプコのドンナ・アンナはずば抜けて生きていた。あれは「カラマゾフの兄弟」に出てくる女性のようにぎらぎらした愛と憎、純潔と汚唇が同居しているようなアンナだった。学者の中には、彼の器楽曲だって根本はオペラに通じると主張する人がいるが、あながち的外れとも言えない。交響曲、協奏曲、室内楽、どの分野にも、澄み切ったものが別のものに突然、劇的に変化するものがある。今笑っていたかと思うと急に泣き出したり、悲しみに打ちひしがれているかと見えたのが突然にこっと微笑(ほほえ)んで踊りだす。

'06.11.1.朝日新聞・評論家・吉田秀和氏 

  

関連記事:散歩道<151>音の文化・(リラクゼーシヨン)、<159>小泉文雄氏・音の文化(音楽)<160>面白い話・(音に関して)<326>最近の面白い本・吉田秀和氏・物には決まったよさはなく(1)〜(3)<383>吉田秀和氏の本1000年の文化100年の文明(1)〜(2)、<1368>池坊展*1