散歩道<1356>
経済気象台(80)・教育の分担
有名商社の幹部社員らが詐欺で逮捕された。これで又国民の一流企業への信頼が低下した。危ない橋を渡ったのは、開発が間に合わないと会社に損害を与えると考えたからと釈明しているが、それ以上のダメージを会社に与えている。元々何のための仕事であるのか、など肝心のことを突きつめることがなくなった風土が日本の社会に広がってきたことの結果だとも思われる。これは広い意味の教育のありように原因があるのではないか。敗戦によってそれまでの社会の価値観が否定されたことの影響も大きかった。また、戦後は経済の復興こそが鍵であるとされ、その目的や目標は広く共有された。国民のエネルギーもその一点に集中することによって奇跡的な成長を遂げた。しかしその段階で改めて目的を問い直し、目的の次元を挙げるべき機会に、「日本列島改造」やそれによる土地ブームなどで、自利の優先が当然の風潮になったのが分かれ目だったと思われる。経済が自立し、選択の自由が広がったにもかかわらず、教育では詰め込み主義が続き、一人ひとりが抱く大切な願いや可能性を引き出す教育本来の働きは閉ざされてきた。受験戦争に勝ち抜いた秀才にもプロとしての倫理のけじめがつかないのは、肝心のことを学校では教わらっていないことを意味する。以前は、その不測を企業内教育で補っていた面もあるが、長引く不況の中で企業はゆとりを失い、その費用を削ってきた。ミッシェル・アルベール氏が「資本主義対資本主義」の中で指摘したように、長期的な視座に立って人間のもつ可能性を信じ、これを育むことによって会社という「場」の力を養うことは、日本経営の優れた特徴だった。そのことも念頭に置き、すべての可能性の基礎である人つくりをこれからの国つくりの基本とし、家庭、学校、企業などでどう役割を分担するか、真剣に考える時が来ている。
'05.6.17.朝日新聞
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