散歩道<1179>
時流自論・「価値の共有」は可能か(3) (1)〜(3)続く
越境や混血による文化的な異種混淆(こう)がごく日常的に行なわれている地域▽国民共通の言語や教育の普及など、国家建設そのものを急務としている地域▽宗教や言論の自由すら保障されていない地域▽「文化を主張するための経済的基盤すらままならない貧困地域・・・・これらの地域にとって「多文化主義」の掲げる理念は、「普遍的」というよりは、「地域限定的」なイデオロギーないしレトリックにしか聞こえない。しかし、アメリカやオーストラリアといった地域だけを見ていたのでは、そこに気がつくのは難しい。そして、そのことが実は、アメリカやオーストラリアそのものさえ見えなくしてしまう可能性もある。ましてや我々は、これらの地域の知的=政治的文脈の延長線上に、安易な「価値の共有」をイメージするわけにはいかない。多文化主義の話はほんの一例に過ぎないが、グロバル化の進展が著しい今日こそ、今回の会議のように、地域を越境・交差させることで独りよがりの「価値の共有」を戒める場の創出が不可欠となる。そうした場における熟議を通じて始めて我々は、より普遍性の高い「価値の共有」へと近づけるのであり、またそうあるべきである。守るべき「価値の共有」とそのための共同行動がなければ、協調的な国際秩序が機能し得ないのは自明だ。しかし、「平和」や「安定」とは逆の結果しかもたらさななかったことは、歴史の証明するところである。「価値の共有」という崇高な「目的」が、喫緊の戦略論議のなかで、「手段」にすり替わらないようにしたい。
'06.8.21.朝日新聞慶応大学教授・渡辺 靖氏
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